弘法大師は日本書道の祖師の一人と言われています。

「弘法筆を選ばず」とは弘法大師の有名な話の一つ。弘法さんは筆に関わらず、どんな字でも見事に書いてしまうと伝えられ、総じて「名人は道具に左右されない腕を持つ」と言う意味に使われます。

腕の未熟な人程、腕の悪さを道具や他人のせいするので、それを戒める言葉としても良く使われるようです。

私自身、苦い経験があります。

一生忘れない

手先の器用な人は手本を真似るのが上手で、簡単に「上手く掛けてしまう」事が在ります。斯くいう私は「その見本」の様な弟子でした。良く「器用だね~」と、褒めるとも貶すとも取れる言葉を先生から頂いた物です(笑)

成績も順調、同僚にも関心され、自惚れて鼻高々。ある日、先生に添削していただいた際、一度だけ「筆のせい」にしてしまいました。すると先生は「君の筆を持っておいで」と言われ、その筆で目の前で見事に字を書いてくださいました。

その時の恥ずかしさったら・・・一生忘れる事が出来ません

それ以降、二度と道具のせいにしない!と強く誓いを立てました。少々行き過ぎて、先生に指摘されるまで筆を替えず、端の欠けた硯を見かねた先生が自作の硯を下さる始末。(笑)

お陰で今は大抵のお道具で書く事が出来る様になりました。そうなった今、逆にお道具の持つ味や向き不向きに大きく関心を持てるようになりました。

腕を磨くという事は・・・

実際に道具自体の良し悪しは存在します。大量生産で筆先の整わない筆など、筆先を必要としない絵を描いたり、前衛的な書の製作には役立つかも知れません。が、書写や書道の作品作り、書を学ぶ際には向いていないと思います。でも、ただ、それだけの事です。

腕を磨くという事は、多様性を持てるという事なのだと思います。

人は不具合に遭遇すると最初に相手の落ち度を責めたがります。それは自己防衛本能のなせる業なので仕方のない事かも知れません。でも、その不具合を通して自分自身の改善点を見つける事が出来たら、きっと書道を学ぶ上でも、それ以外でも、楽しい事が増えていくと思います。

因みに、「弘法筆を選ばず」の本当の所は、「弘法さんはどの字にどの筆が適しているかを熟知していて、瞬時に筆を選び取り字を書いたので、素人目には筆を選ばないで書ける様に見えていた」という事だとか・・・

高い山の頂から見える景色は、麓からは見えない物ですね(笑)

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